鮎川事業哲學の真意
鮎川義介日産コンツェルンは、少数特定の家族の富を蓄積するための財閥とは本質的な違いがあり、不況期における雇用の確保を世界に通用する産業構造の改革をなすという表面的な目的の外に、持株を公開して一般投資家から資金を調達し、市場流動性を高め、会社の資産評価を公平にした後、その利潤を社会に還元することによって、市場の景気を高揚し、さらには一般大衆を企業活動の中に自主的に参加してもらうことによって、経済構造のしくみを理解し、“啓蒙”するところに最大の主眼が置かれていました。ここに世界に先駆けて民主的新資本主義が実現されたのです。

鮎川の事業は、一貫して人創りと教育がテーマであり、経営者、投資家、従業員、消費者全員参加による事業を通じた教育機関でした。戦後の私財を投じた「日本中小企業政治連盟」の活動を於いても自ら利するものはなく、ただ大衆の繁栄と国家の復興の念いのみでした。その為には、中小企業家を、政治や市場経済に参加してもらい実践を通して改善していくのが最良の方法と考えていました。

当時の企業家の性格は、概ね、政治に無関心で経済に関しては利己主義でした。各自が商売がたき意識により、多くの業者が不合理な乱売競争をして自らの首をしめ、彼の理想をしていた技術集約的な貿易立国への見込みがなかったのです。この適者生存の考えを改めて、智慧を持ったチームワーク作りをして、共存共栄の重要性を説いたのです。

「貧すれば鈍する」のたとえの如く、貧しければ、智慧を得る機会を失いますます貧しくなりますが、豊かになれば、その逆で学ぶ機会を得てさらに発展することができます。大学が授業料を取って知識を教える場なら、彼の事業は、給与や配当、法的権利を享受しながら智慧が得られる「学び舎」でした。

社会主義学派の総帥、大内兵衛東大名名誉教授が、実業界の第一線で活躍している鮎川に「真の理想主義者であり、公的な心持は崇高というより外に形容のしようがない」と賛辞を送っています。

夢をいだき社会に奉仕をする理想と、困難な現実を統合した彼の事業哲學は、廃墟と化した日本を復興繁栄させるための、まさに「奇蹟の法則」だったのです。豊富な資源を有する国であれば、一部の特権階級のみが富や知識を独占しても国の存続は可能ですが、資源や資金に恵まれず、人口密度が高い島国では、国民全員が高度な教養と技術を共有して調和しない限り、真の繁栄はないと確信していました。それ故、彼は企業、政治活動、教育など、あらゆる機会を通じて常に“自助努力”を通して得られる“創造性と奉仕の精神”の重要性を説いたのです。

現在、日本の経済力が世界で冠たる地位を占め、一般大衆の経済観念やその技術が、欧米を凌駕するまでに至ったのも、ひとつには、彼の比類ない教育的事業哲學に起因するところが多いのです。